和人とアル中

和人の周りには、アルコール中毒患者が多い。
仕事が終わると同時に調合したアルコールをペットボトルに詰めるアルケミスト。
尿酸値を薬でごまかし、身を削りながらビールをすするもの。
特に何かをしたわけでも無いのに、尿酸値が基準値を大幅に超える大型新人。
死んだ魚の様な目をした彼らは、ひとたびアルコールを煽れば輝きを取り戻し、水を得た魚のように生き生きとしはじめ、手の震えが止まり、中には眼鏡を斜めにかけ、若者を蹴散らそうとして、ひと悶着はじてしまうものもいる。やおら道路に飛び出しては、道路の真ん中のをうろつき、渋滞を発生させる。
彼らの根底にあるのは、アルコールを神聖化し盲目に忠誠を誓う心である。アルコールを聖水と呼び、身体を清め、神降臨を行うものまでいる始末。
それは、さながら宗教に狂った信者のごとく、他者が何と言おうと耳をかさず、それこそ、ただひたすらにアルコールを求め彷徨い続ける、いうなればアルコールの亡霊、アルコールの奴隷、アルコールの犬、アル犬である。
アル犬は、アルコールが体に悪いことを受け入れることが出来ず、百薬の長や、少量の晩酌が体に良いことの「少量」の部分を過大解釈して、少量=ビール2本+いいちこ3杯と勝手な理論をたて、アルコールは体にいいと理論を捻じ曲げるのである。
とは言え、中にはアルコールを分解し、体に害をなさない人間がいることも事実として存在し、特に一部地域では、アルコールへの耐性が強く、過酷な飲みを強要される事案も頻繁に発生している。
なぜ私がこうまでしてアルコールのSEO(検索エンジン対策)を行っているのか、何が私をつきうごかしているのかは、全く持って謎である。何故こんなページを作り、アルコールのSEOを行っているのか、全く身に覚えが無いとしか言いようがない。気づいたら文章が埋まっていて、アルコールのSEOをしていた。
こういうケースは今に始まったことではない。
だがしかし、なぜアルコールなのか、私はそれが気がかりで仕方がないのです。
そんな時、決まって奴らが来るのだ。
奴らは黄色い顔して、白い泡の様な帽子をかぶり、ホップな香りを漂わせながら耳元で何事かを囁き、こちらの反応を伺って楽しんでいるのです。
私はとても恐ろしくなり、恐怖で喉がカラカラに乾き、手が震え始めます。
冷蔵庫に冷やしてある6本の内、1つを手に取り飲み欲せば、奴らは消えていきます。
私はざまぁみろと呟いて、もう1本目に手を付けるのです。
またしても、一呼吸つく間に文章が埋まっています。
いったい、だれがこの文章を書いているのか、不思議です。

認知的不協和が起こす弊害

認知的不協和については、すでにご存じの事だろう。
アルコールを飲みたい。アルコールは体に悪い。という事実から目を背け、やれお清めだの、やれ神のアレだのと、言い訳を繰り返し、

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